タイガーマスク基金 インタビュー

タイガーマスク基金 インタビュー#5
子どもたちへの応援歌を作りたかった

映画監督 刀川和也さん

アジアプレス・インターナショナル所属。フリーの映像ジャーナリストとして、フィリピンの児童労働やインドネシアのストリートチルドレン、アフガニスタンの空爆後の子どもたちなどを取材。その後、国内外でカメラマン、取材ディレクターとしてテレビドキュメンタリー制作に携わる。延べ8年に渡る撮影を経て『隣る人』を完成。本作が初監督作品となる。

 

フリーのジャーナリストとして東南アジアやアフガニスタンで子どもたちの現状などを取材。帰国後、児童養護施設「光の子どもの家」を訪れ、8年に渡りそこで暮らす子どもや保育士の姿を見つめてきた刀川和也さん。この度ドキュメンタリー映画『隣る人』として公開しました。映画の話、そこで感じた子どもと大人たちの関係についての話を伺いました。

 

 

もう一度「家族」について考えてみたい

『隣る人』を撮ろうと思ったきっかけはなんだったのでしょう。

フィリピンの児童労働を取材して帰国の途に着く2001年、宅間守の事件が起きました。過酷な環境で生きる子どもたちの取材をした後にこのニュースに触れ、豊かなはずの日本でなぜ?と衝撃を受けました。ちょうど日本はバブル崩壊後で、世の中が何となく鬱屈した空気に包まれていました。事件のことを考えるにつけ、どうも家庭環境、家族というものに何かがあるのではないかと思うようになりました。そこで出会ったのが評論家・芹沢俊介さんの『「新しい家族」の作り方』。あとがきで「光の子どもの家」に触れ、「この光の子どもの家で行われていることから、家族や子どもといったものをもう一歩進んで考えることができるのではないか」といった内容が書かれていて、これは行くしかないと。家族と社会のはざまのような場所から、もう一度家族を見直す。そこからもう少し考えてみたい、と思いました。それで光のこどもの家の菅原哲男理事長に手紙を書きました。そこの暮らしぶりみたいなものを、僕も一緒に居続けながら撮ってみたいです、と。そこから映画になるまで8年もかかってるんですけどね(笑)だいぶ右往左往しているんです。

 

 

8年という時間をかけて

児童養護の業界では、子どもたちの映像や写真を撮ることへの配慮は特に強いと思います。映画化するにあたってどのようなやり取りがあったのでしょう。  

子ども本人ときちんと話ができるとしたら中学生以上だと思います。でも、今回の映画で僕が撮ったのは小学生です。実は8年という歳月は、単に撮影をするのに8年かかった、ということだけではないんです。子どもたちが成長する時間でもあり、何より僕との関係ができる時間でもあります。これほど時間をかけて一緒に居たからこそ、僕も目の前の子どもたちと付き合うなかで色んなことが見えていきました。

一番集中して撮影したのは2007年から2008年の2年間です。この時は週の半分は施設に居ました。「やっぱり居なきゃいけない」と思ったのには3つ理由があります。

1つは、「居なければ立ち会えない」ということ。子どもは毎日のように色んな表出をします。例えばケンカでも、何気なく見れば単なるトラブルなのだけど、そこには背景やその時その時の子どもの状況があって何かが噴出しているわけです。その後の、大人たちが子どもにどう関わっていくのかというところまで立ち会わなければ、彼らの噴出がいったい何なのかということが理解できないのです。

2つ目は「居るからこそ撮影できる」ということ。子どもだって敏感ですから、見られたくないものもある。そのなかで、僕がその場に居ることを許してもらえるのか。カメラを回すというのはある種異様なことです。それを僕が居れば当たり前、のようになるほどずっとカメラを回していましたし、徐々に受け入れてもらえました。子どもの「やめて」のレベルも長く付き合うなかで分かってくるもので、これは、こうだからダメ、これだから良い、ということではないのです。

3つ目は「公開するためには子どもとの信頼関係を築くしかない」ということ。小学校高学年にもなれば映画の公開についてある程度話せるかもしれない。日本ではあまりやらないけれど、契約書にサインでもあれば法的にはなんとなくマルなのかもしれません。だけど人間は一日一日変わります。いいと言っても次の日にはダメということもあります。だから映画を公開しても、子どもたちがやっぱり嫌だと思ったら、それを言える環境にしておきたかった。『隣る人』は昨年、山形国際ドキュメンタリー映画祭に招待されました。映画に出てくるムツミちゃんとマリナちゃんにはそこで一緒に見てもらいました。子どもたちがウンと言ってくれなければ映画は公開できない。そこで「どう? 怒ってない?」と聞いたら「怒ってないよ」と。それが映画の出発点となっています。

 

 

>子どもたちの立っている世界

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