タイガーマスク基金 インタビュー

タイガーマスク基金 インタビュー#6
施設を出た子どもたちが頑張れる場所を提供したい

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仕事の面白さに目覚めた20代後半

転機になったのは、20代後半に転職したことです。会社内でもめ事を起こしてしまったのが原因ですが、顧問にあたる人が「お前にはなかなか見所がある」と言ってくれて、グループ会社で雇ってもらいました。ちょうど守るべき家族もなくなり、誰も喜んでくれないし面白くないと思っていた仕事を辞めることばかり考えていた時期でしたが、仕事の内容が変わったら自分の考えも変わりました。お客さんにはじめて「ありがとう」って言ってもらえるようになり、もっと技術を磨こう、知識もつけようと意欲が沸いてきて楽しくなったのです。

 

ただ、移った会社の業績が悪く給料が下がり、生活が苦しくなってしまったために、再び顧問の勧めで今の会社に移りました。当時は社長と自分のわずか2人だけの会社。営業や接客も初めて経験したのですが、どういう風に話したら不快感を与えないかなど、この頃の仕事を通して相手のことを考えるようになりました。お客さんに本気で頭を下げて「ありがとう」が素直に出るようになると、ますます楽しくなってきて、それからは仕事面ではトントン拍子にここまできているような気がします。

 

東京での事業を展開するため31歳で上京しました。2年前に前社長が引退したのを機に会社を引き継ぎましたが、まだまだ自分の考えや気持ちの甘さ、未熟さを痛感する毎日です。ここまでの人生は順風満帆にきている訳でもないし、むしろ自分と戦いながら生きてきました。それでも、自分の過去の経験は決してマイナスではなくプラスになっていると感じます。だって、もしかしたら普通の人が何とも思わないようなことでも自分は幸せを味わえるんです。人より幸せを噛み締める回数が絶対に多いはず。後輩たちに自分の経験が役に立つのか分からないけれど、こんな人もいるんだという参考になればいいなと思います。

 

 

自分と同じような境遇の子どもたちにもチャンスを

40歳になったら好きなことをやりたいと思っています。副業で飲食店経営などをして、10年くらいは堪能したい。そして、50代では福祉事業にも携わりたいと考えています。まだ、どういう形になるか具体的には分からないけれど、子どもやお年寄り、それに児童養護施設の子たちも含めて多様な人たちが交われるような施設ができたらいいなと思います。そのためには会社の業績も順調に伸ばさないといけません。

 

また、自分の会社に施設出身の子を受け入れていきたいという思いもあります。せっかく自分が児童養護施設で育ったんだから、同じような境遇の人たちに門戸を開くというか、きっかけを与えることができたらと思います。過保護にするのではなく、頑張れる場所を提供したい。すでに施設を出た子にうちの会社で働いてもらっていますが、彼にはこう言っています。「自分は同じような環境で育ってきているから苦しみも理解できるけれど、場を与えられたら関係ない。やるかやらないかは自分次第だよ」って。自分に甘い人はどんどん甘くなっていくし、それは普通の家庭で育ったとか施設出身とか、関係ないと思う。むしろ、僕なんかも帰る場所がないから会社を疑似家族のように思っている節があるけれど、施設出身の子はおしなべて愛社精神が強いと感じます。彼らの強みや魅力がもっと企業側に認知されて、「あの子たちがぜひ欲しい」という見方がされていけばいいなと願います。

 

 

自分の幸せとは何かよく考えてほしい

これから施設を出る子、そして出た子たちに伝えたいのは、「安易に幸せを求めることはしないほうがいい」ということ。施設を出てすぐは、確かに帰る場所がなくて辛いと思います。けれど、「自分の幸せとは何か」ということをじっくり考えないと、簡単に誘惑に流されて失敗してしまう。幸せになりたいという気持ちは僕にもよく分かるし、受け止めてあげられるから、辛くなったら相談してほしいと思います。

 

あとは信頼できる仲間を作ることですね。自分を慕ってくれる人や地域の人たちの存在は大事です。僕も一人だったら何もできていません。よい仲間さえできれば、人より時間はかかるかもしれないけど、30歳くらいになって光が見えてくるような気がします。

 

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