タイガーマスク基金 インタビュー

タイガーマスク基金 インタビュー#1
まずはみなさんに児童養護施設のことを知ってもらいたい

児童養護施設福田会東京本院施設長 中村久美さん 

独身時代は東京でフリーのアナウンサー。27歳で結婚と同時に渡米、娘さんが3歳の時に家族で帰国。日米の子育ての環境や考え方のあまりの違いに疑問を感じたことをきっかけに、女性の労働問題、児童の野外教育などをテーマとした活動を始める。活動を通じて知り合った前理事長の依頼で2004年3月に現施設長に就任。

 

子どもたちの現実 自ら望んで施設に来るわけじゃない

子どもたちは時代背景を映しながら施設にやってきます。戦後には孤児収容の時代があり、サラ金問題が深刻化した時代は経済的理由も多かった。今は虐待で入所してくるケースがほとんどと言っていいくらい多いです。これからは東日本大震災によって片親になったり孤児になった子どもの問題が出てくると思います。現在は親族のところに身を寄せている孤児も、将来親族が高齢になったり、思春期を迎え震災で負った心の傷が表面化してきたときに施設が必要になるかもしれません。

 

 

助けを求める術を知らない子どもたち

幼いときから無償の愛で育まれてこなかった子どもたちは、手を差し伸べてくれる大人がいてもなかなか「助けてください」と言えません。人と人との基本的な信頼関係が育っていないので、相手に頼る術を知らないのです。

 

施設を退所した子どもたちは、いよいよ困った事態にならないと施設には相談に来ません。みんなに「頑張ってね~」と送り出されたら、やっぱり帰りにくいものです。友だち同士で連絡を取り合ったりいろんなことをして、本当ににっちもさっちもいかなくなったとき初めて施設に助けを求めてくることが多いです。

 

 

親を嫌いな子なんていない

子どもたちはやっぱりみんな無条件に愛されたいんです。人は産まれると自分のことを無条件で受け入れてくれる愛情の中で育っています。これは親が子に与える愛情ですね。
 

だからどんなにつらい思いを親から受けたとしても、親に愛されたい、認めてもらいたい、あなたが一番大事と言ってほしい。
 

親に会えない子、会ったことがない子は親との距離が離れていればいるほど、現実を受け入れられず理想化してしまって、そこと違うことへの拒否感や憎しみが出てくることがあります。虐待を受けた子も、虐待を受けたからその人が嫌い、怖いということだけではなく、愛してくれるはずの人から否定されてしまったという苦しみを感じていることが多くあります。でも、根本には親に対する愛情は絶対にあるのだと思います。

 

虐待を受けていた当時は感情が整理できずに、憎しみや嫌悪感が先に立っていても、大人になる過程や自分が子どもを持つことにより自分の心を整理していくときに、「あ!ほんとは愛されたかったんだ!」と気がつくことがあるのではないでしょうか。

 

 

「当たり前のこと」を経験させてあげたい

東京近郊の施設でも、電車に乗ったことがない、自動券売機にお金を入れて切符を買うことも知らないという子どもたちもいます。私たちが当たり前だと思っている生活は、彼らにとってけっして当たり前ではありません。
 

私の田舎から送られてきた山のようなきゅうりに、もうみんな喜んだことといったら!「生まれて初めて1本まるまるきゅうりを食べた」と言う子もいました。きゅうりだけではなくリンゴを丸かじりしたことがない子もいます。どこの家でも親戚から送られてきたミカンばっかり食べたり、酔ったお父さんがお土産にケーキを買ってきたりすることってありますよね? 施設は集団生活ですから、基本的に決められた時間に食堂で調理されたものを食べています。野菜も果物も食べやすいよう切って出されるので、丸かじりさえもうれしいことなんです。
 

私がいま施設の子どもたちに一番してあげたいことは、そういう普通の家庭で育っていたら得られるいろんな経験や感動を、同じように味わわせてあげたいということです。
 

こんなこともありました。ある日近所のレストランの方が閉店時にケーキを持ってきてくれたんですが、全員分の数はない。ちょうど小さい子たちが寝静まった後で、中高生だけが起きていたので、「いつもチビたちがうるさくしているのを我慢してくれてありがとう。このことは絶対チビたちには秘密。大きい子でそーっと食べようね」って、ケーキをいただきました。そのときの中高生の顔って、すごくいいんですよね。いつでも何でも平等、全員に同じように行き渡らないといけないなんておかしくないですか。そんな特別感も、時には子どもたちに経験させたいんです。
 

当たり前のことを知らずに大人になった子が今度自分の子どもを育てるときに、育て方にとまどってしまうのではということは、とても重く考えています。でもやっぱり施設ではやりきれないこともあるんですね……。

 

本当に「当たり前って何だろう」と考えると無力感におそわれることがあります。施設の外で母親に抱っこされて寝ている赤ちゃんを見ると、「うちの子たちと、この子と、どこが違うの?」。電車でお父さんとお母さんに挟まれて寝ている子がいたら、「これが当たり前でしょ! 施設の子たちにだって、こんな生活をさせてあげたい」って思い、やっぱり涙が出そうになります。

 

 

幼いころの愛着関係が「あと一歩」の後押しとなる

生まれてから3歳ぐらいまでに、愛着関係ができるよう特定の養育者に愛されていたか。これはとても大事なことです。この愛情の基盤があれば、あとでもし何かトラブルがあっても修復はしやすい。でも生まれたときから泣いても抱っこもされずに放置されるようなことが続くと、自己肯定感を得にくく将来にわたって生きづらさを抱えてしまうことがあります。早く施設で保護してあげたほうがよい場合だってあるのです。
 

たとえばガラスの板の上で、赤ちゃんに「こっちへおいで」と呼んだとします。下を見ると何もなくて怖い。でも、いつも抱っこしてくれるお母さんが呼べば前に進めるでしょう。人生も同じなんです。

 

目標があっても、不安が大きいと「どうせあそこまで行けない」としり込みしてしまうのが普通です。だけど愛情の基盤がある子は、手を伸ばして待っていてくれる人がいると思うことで、一歩が踏み出せる。施設で暮らしている子どもたちは、理不尽な分離経験から、「どうせ俺なんか、アタシなんか」と一歩を踏み出せないことが多いんです。

 

>子どもたちのためにできること‐問われる施設の力量

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